大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 平成2年(ワ)283号 判決

原告

斎藤隆彦(X1)

斎藤直美(X2)

斎藤佳子(X3)

右法定代理人親権者

斎藤隆彦

右三名訴訟代理人弁護士

明石一秀

太田治夫

右訴訟復代理人弁護士

安藤建治

相原佳子

被告

越谷市(Y)

右代表者市長

島村慎市郎

右訴訟代理人弁護士

熊本典道

加藤済仁

右訴訟復代理人弁護士

松本みどり

理由

二 請求原因2(節子の死亡原因)について

1  子宮破裂と羊水塞栓症

〔証拠略〕によると、次のとおりの医学的知見が認められる。

(一)  子宮破裂について

(1)  子宮破裂とは、子宮筋層の離断又は裂傷などの子宮損傷をいう。

(2)  子宮破裂の原因としては、次のことが考えられる。

ア 帝王切開、人工妊娠中絶などの子宮内手術その他前回の妊娠等の際に子宮に損傷を受けていたこと。

イ 過強陣痛、陣痛促進剤の投与等により子宮収縮時に子宮に損傷を受けたこと。

ウ 困難な鉗子分娩、頸管全開大前の鉗子等による娩出の試みや娩出のため子宮を強く押したことなどにより胎児の娩出中に子宮に損傷を受けたこと。

エ 癒着胎盤、破壊性奇胎、絨毛癌その他子宮に欠陥があったこと。

(3)  全子宮破裂の主たる症状は、次のとおりである。

ア 陣痛発作時又は反転した瞬間に、下腹腔内で破裂した激痛を感じ、陣痛が停止する。

イ 顔面が真っ青になり、口唇チアノーゼ、おう吐、冷や汗などが認められる。

ウ 外出血を来し、胎動が消失する。

(4)  発生頻度は、おおむね、一〇〇〇ないし二〇〇〇件に一件の割合である。

(二)  羊水塞栓症について

(1)  羊水塞栓症とは、羊水成分が何らかの原因によって母体血中に入り、肺血管に塞栓を起こして、呼吸困難及び心血管系虚脱症状を呈し、さらには羊水及び胎便中に含まれているトロンボプラスチン様物質によって、全身性の血管内凝固症候群(DIC)を引き起こす疾患をいう。

(2)  羊水成分の母体血中流入の促進要因としては、子宮内圧の異常亢進や産科手術による子宮内腔血管の損傷などが挙げられる。羊水塞栓症は、経産婦に多く、陣痛促進剤の使用、過強陣痛、胎児死亡などがリスク因子として推定されているが、その関連性は明らかでない。

(3)  初発症状は、チアノーゼを伴った呼吸困難及びショックが約半数で、けいれんや出血の場合もある。連続症状としては、血管内凝固症候群(DIC)による出血傾向が最も多い。経過は、極めて急性で、致死率が高い。

(4)  発生頻度は、数万件に一件の割合である。

2  異常の発生順序ないし死亡原因

一において認定した節子の臨床経過及び解剖の結果に、1の医学的知見並びに〔証拠略〕を総合すると、節子は、まず、陣痛間欠や陣痛発作の時間を測定することができなくなった昭和六一年一二月二三日午後二時四〇分ころの時点において、子宮が破裂し、これを契機として羊水塞栓症が発症するとともに、多量出血が始まり、さらに血管内凝固症候群(DIC)が発生し、一層の出血を招いて死亡するに至ったものと推認するのが相当である。

3  子宮破裂の原因等

(一)  1(一)(2)のとおり、子宮破裂の原因には複数のことが考えられるところ、証人久保武士の証言及び鑑定の結果によると、節子の子宮破裂は、陣痛促進剤であるオキシトシン及びプロスタグランディンF2αの投与を含む多くの複合的な原因によるものであると認められ、右投与が過強陣痛をもたらし、子宮破裂の原因の一つとなった可能性を否定することはできないというべきである。

(二)  羊水塞栓症については、〔証拠略〕によると、2のとおり、同症が子宮破裂後に発症したと推認されることなどに照らし、子宮破裂がその原因の一つであった可能性があると判断される。

三 請求原因3(本件担当医師の過失)について

1  同(一)(説明義務違反)について

原告らは、本件担当医師が、オキシトシン及びプロスタグランディンF2αの投与に先立ち、節子に対し、その危険性を説明し、その使用について真の承諾を得るべき義務を負うのに、これを怠り、漫然右両剤を投与したことにより本件事故が発生したと主張し、右両剤に原告ら主張の副作用があることは、当事者間に争いがない。

しかしながら、一に判示したとおり、田中医師は、内診の際、節子に対し、「陣痛が弱いから、これから痛みを付けてお産にもっていくようにします。」などと説明して節子の承諾を得たこと、清水も、陣痛促進剤の点滴を開始する際、節子に対し、「痛みを付ける薬を注射します。」などと告げたことが認められ、また、二1に判示したところからすると、陣痛促進剤を投与した場合に子宮破裂が発生する確率は低いといえるから、陣痛促進剤の投与に先立ち、医師や助産婦が産婦に対して子宮破裂が発生する可能性についてまで説明すべき義務はないとうべきである。

2  同(二)(陣痛促進剤の不必要な投与)について

原告らは、本件担当医師が、節子に対し、医学的適応がないにもかかわらず、オキシトシン及びプロスタグランディンF2αを投与した過失により本件事故が発生した旨主張する。

しかしながら、一に判示したとおり、節子は、本件事故当日午前九時三〇分ころ、微弱陣痛と診断されていることが認められ、また、久保武士(筑波大学臨床医学系産婦人科学教授)が、その証言及び鑑定において、微弱陣痛の場合には、積極的に陣痛を促進するのが相当であり、また、微弱陣痛の診断が朝に行われ、人手の多い昼間に分娩させることを考えて陣痛促進剤を投与することは不適切とはいえないとしていることを併せ考えると、本件担当医師が節子に対して陣痛促進剤の不必要な投与を施したとは認められず、この点について本件担当医師に過失があったということはできない。

3  同(三)(陣痛促進剤の不適切な投与方法)について

(一)  原告らは、オキシトシン及びプロスタグランディンF2αの両剤を併用する場合には、過強陣痛を起こしやすいから、その投与は、各剤の安全限界量を相当程度下回る量にとどめるべきであるにもかかわらず、本件担当医師は、節子に対し、高濃度の陣痛促進剤を、併用して最初から一分間に二〇滴もの速度で過剰に点滴投与した過失がある旨主張する。

(二)  ところで、〔証拠略〕は、次のとおりであり、その判断の相当性を疑わせるような証拠はない。

(1)  オキシトシンを単独で点滴投与する場合において、至適注入速度(平均的な常用濃度)は毎分五ないし一五ミリ単位、注入速度の安全限界は毎分二〇ミリ単位である。

本件におけるように、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルにオキシトシン五単位を混合して、毎分二〇滴の速度で注入すると、注入速度は、毎分一二ないし一三ミリ単位となる。これは、オキシトシンの注入速度の安全限界内であり、かつ、至適注入速度内である。

(2)  プロスタグランディンF2αを単独で点滴投与する場合において、至適注入速度は六ないし一五ミリ単位、注入速度の安全限界は毎分二五ミリ単位である。

本件におけるように、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルにプロスタグランディンF2α三〇〇〇ガンマを混合して、毎分二〇滴の速度で注入すると、注入速度は、毎分八ミリ単位となる。これは、プロスタグランディンF2αの注入速度の安全限界の三分の一であり、かつ、至適注入速度内である。

(3)  オキシトシン及びプロスタグランディンF2αの併用を原因とする事故の発生が報告され、併用につき注意が喚起されるようになったのは、ごく最近のことであり、本件事故が発生した昭和六一年当時、右両剤の併用はこれを避けるべきであるとはされていなかった。

(4)  右両剤を併用した場合の注入速度の安全限界は、右両剤を単独で使用する場合よりも低い値になることが考えられるが、客観的なデータはない。そして、昭和六一年当時の医療水準及び節子の分娩経過に照らして、本件陣痛促進剤の注入速度は、必ずしも無理なものではなく、許容範囲内と考えられる。

(三)  そうすると、本件陣痛促進剤の投与方法について、本件担当医師に過失があったとは認められないというべきである。

4  同(四)(分娩監視義務違反)について

(一)  同(1)(基本的な監視義務違反)について

(1)  原告らは、本件担当医師が正常分娩の場合にも要求される産婦の体温、血圧、脈拍等の測定を怠り、また、陣痛促進剤を投与している場合に行うべき厳重な監視を怠り、節子に過強陣痛及び子宮破裂の徴候が生じているのを見落としたと主張する。

(2)  一に判示したとおり、本件担当医師は、入院の際に測定しただけで、ショック状態を呈するようになるまで節子の体温、血圧及び脈拍を測定しなかったこと、本件病院の医師は、田中医師が本件事故当日午前九時三〇分ころに節子を内診した後は、同日午後二時四五分ころまで節子を診察していないこと、医師は、助産婦から異常があるとの報告がない限り、分娩監視を助産婦に任せていたこと、同日、本件病院において出産予定の産婦は、節子を含めて二名であり、同日の分娩担当である助産婦の清水は、右両名の産婦を監視しており、清水以外の助産婦及び看護婦も、節子の状態を時々観察していたことが認められる。

(3)  久保武士は、その証言及び鑑定において、分娩の監視については、体温、血圧、脈拍等のヴァイタル・サイン(生命徴候)の把握が必要であり、視診だけでは十分でないが、分娩監視装置を装着して連続的に監視する必要まではなく、血圧、脈拍等の測定は、妊娠中毒症や高血圧症を合併していない限り、必要に応じて実施すれば十分であり、分娩の経過が順調に推移しているときは、実施しないこともあるし、異常の有無にかかわらず血圧、脈拍等を測定することは、現実的ではない旨、陣痛促進剤の投与中であっても、医師が直接分娩を監視する必要は必ずしもなく、助産婦が監視して必要に応じて医師に報告しその指示を仰げば足りる旨及び同日の昼の三回のおう吐時から陣痛間欠や陣痛発作の時間を測定することができなくなった同日午後二時四〇分ころの時点までの間に、血圧、脈拍等の測定の必要は特になかった旨の判断をしており、右判断を不合理とすべき理由は見出し難い。

(4)  (2)の各事実に、(3)を総合すると、原告ら主張の注意義務違反は認められないというべきである。

(二)  同(2)(分娩監視装置の不使用)について

(1)  原告らは、本件担当医師が、オキシトシン及びプロスタグランディンF2αの両剤の併用投与に際し、分娩監視装置を適切に継続使用して十分な分娩監視を行うべき義務を怠り、節子及び胎児の状況変化を見落とした旨主張する。

(2)  一に判示したとおり、本件担当医師は、節子に対し、同日午前一〇時ころから、オキシトシン及びプロスタグランディンF2αの両剤の点滴投与を開始するとともに、約一時間分娩監視装置を装着したが、右約一時間の分娩監視装置の記録したグラフ(胎児心拍数曲線及び陣痛曲線)に異常が認められず、分娩監視装置は、それ以後装着されなかったことが認められる。

(3)  しかしながら、〔証拠略〕は、陣痛促進剤を投与する場合には、少なくとも投与後三〇分間分娩監視装置を装着することが望ましいが、分娩監視装置を装着して連続的に分娩を監視する必要まではなく、平成六年現在でも、国内のすべての産婦人科医院、病院において、本件病院より長時間分娩監視装置を装着しているわけではない、仮に同日午前一一時ころ以降も分娩監視装置の装着を継続していたとしても、節子の異常を早期に発見することができたかどうかは、不明である、本件分娩監視装置の装着方法は、ほぼ適切であり、これにより胎児心拍数、陣痛間欠及び子宮収縮の強さの情報を読み取ることができるというのであり、右判断を不当とすべき証拠はなく、これに照らすと、原告ら主張の注意義務違反は認められないというべきである。

5  同(五)(過強陣痛、子宮破裂段階における分娩管理上の注意義務違反)について

(一)  原告らは、本件担当医師が、節子の分娩経過の下で、過強陣痛又は子宮破裂を疑い、節子の血圧、脈拍等の測定をし、直ちに陣痛促進剤の点滴投与を中止するか、又は点滴量を調節するなどして、節子の症状悪化を防止すべき義務を怠り、漫然と陣痛促進剤の投与を続けた旨主張する。

(二)  一に判示したとおり、同日午前一〇時からの分娩監視装置の記録したグラフの陣痛曲線によると、同日午前一〇時三〇分ころから、陣痛は規則的となり、同日午前一一時ころまでの間において、その間欠は一ないし一分三〇秒であったこと、右グラフによると、陣痛曲線は、特に、同日午前一〇時三〇分前ころから、波高の頂点が振り切れてしまったような波形を示していること、右グラフの胎児心拍数曲線によると、同日午前一〇時四五分ころ及び五六分ころ、一過性徐脈が認められたこと、節子は、同日午後〇時三〇分、午後〇時四五分及び午後一時にそれぞれおう吐したこと、自然破水した同日午後一時一五分に血性分泌があったこと、同日午後二時一五分に胎児心音が低下し、酸素の投与が行われたこと、本件病院の助産婦は、節子の右おう吐、血性分泌及び胎児心音の低下を異常と認めず、医師に対してこれらを報告しなかったこと、一方、節子は、おう吐後も元気で、昼食をきちんと済ませており、同日午後二時四五分ころまで体調の異常を訴えることがなく、顔色も特に悪くなかったことが認められる。

(三)  証人久保武士の証言及び鑑定の結果は、次のとおりであり、その判断は相当であり、これを採用するに足りるものというべきである。

(1)  右陣痛曲線の波形については、本件で行われた分娩監視装置による陣痛の計測は、外測法によるものであり、また、曲線の波の高さは、分娩監視装置の装着の仕方、母体の肥満度及び体位並びに分娩監視装置の感度の影響を受けるので、波高の頂点が振り切れてしまったような波形を示していることから直ちに過強陣痛と診断することはできない。

さらに、右曲線上、陣痛間欠が保たれていることからも、過強陣痛とはいえない。

したがって、装着の仕方や計測感度の見直しをすべきであったとしても、分娩監視装置の右記録から、母体に異常があった可能性を指摘することはできない。

(2)  分娩監視装置の記録した右胎児心拍曲線によると、胎児が仮死状態、すなわち急速遂娩を必要とするような危険な状態にあると認めることはできない。右曲線により認められる一過性徐脈は、正常な分娩進行中にも認められる程度のものであり、厳密には分娩監視装置の装着を続ける方が望ましいとしても、この程度の徐脈をもって、胎児に危険が生じていると診断することはできない。

(3)  陣痛があるときに産婦がおう吐することは珍しくない。特に、プロスタグランディンF2αの副作用の一つとしておう吐があり、また、節子は、おう吐を三回繰り返しているが、その後に昼食を摂取しており、子宮破裂等の異常が発生した場合に、産婦が食事をすることができるということは考えにくい。したがって、節子が陣痛促進剤の投与中に三回おう吐したことをもって、母体に過強陣痛等の異常があると診断することはできない。

(4)  自然破水についても、助産婦は、厳密には、医師に対して報告する方が望ましいという程度であって、自然破水をもって、母体に過強陣痛等の異常があると診断することはできない。

(5)  胎児心音の低下については、分娩の三割ないし四割の割合で、分娩前三〇分くらい前から胎児心音が低下することがあるところ、その大部分が正常である。そして、胎児心音の低下に対して酸素を投与することは、適切な処置であり、胎児心音の低下の一事をもって、母体に過強陣痛等の異常があると診断することはできない。

(6)  節子の一連の分娩経過において、その当時、節子について、過強陣痛等の異常の発生をうかがわせる徴侯があったというのは困難である。

(四)  (二)各事実に、(三)を総合すると、本件担当医師が節子につき過強度陣痛、子宮破裂等の異常の発生を察知するのは困難であったものと認められるから、原告ら主張の分娩管理上の注意義務違反は認められないというべきである。

6  同(六)(産科ショックに対する治療義務違反)について

(一)  原告らは、本件担当医師が、本件事故当日午後二時四五分前にも、子宮破裂を診断し、又はその疑いをもち得たはずであるのに、これができず、また、右時刻には、節子に産科ショック状態が認められたにもかかわらず、一般的なショックの事後処置すら不十分であった上、最も疑うべき子宮破裂による大出血に思いを致さず、産科ショックに対する迅速適切な事後処置を怠った旨主張する。

(二)  まず、前示したところからすると、産科ショック状態が認められる前の階段においては、本件担当医師が節子につき子宮破裂を診断し、又はその疑いをもち得るような徴候があったとは認められないというほかない。

次に、本件担当医師は、一2(七)に判示したとおり、節子が急激にショック状態を呈した後、一連の処置を講じていることが認められるところ、久保武士は、その証言及び鑑定において、本件担当医師は、節子が心停止状態に至った時点で、麻酔科医を含む他科の医師の応援も得て、気管内挿管、心臓マッサージ、心臓に対する電気刺激等の一連の救命措置を実施し、結果論としては輸血の開始がやや遅きに失した感があるものの、一応適切な処置を講じているといえるとし、節子のショック症状の発現が急激であることから、医師としては、その原因をまず羊水塞栓症と考えることも無理からぬところであり、羊水塞栓症については、平均的な医師が自分が直接管理する分娩の中で一度出会うかどうかというまれな疾患であり、しかも、いったん発生すると、ほとんど死亡するという重篤な疾患であって、救命の可能性がなくはないものの、現在の医療水準をもってしても救命し得ないことが多く、節子について、陣痛間欠や陣痛発作の時間を測定することができなくなった昭和六一年一二月二三日午後二時四〇分ころの段階で、医師が助産婦から報告を受けて診察したとしても、救命は困難であったであろうとしており、右判断はこれを首肯するに足り、本件担当医師につき、一般的なショックはもちろん、産科ショックに対する迅速適切な事後処置を怠った過失があると認めることはできないというべきである。

7  まとめ

以上のとおり、請求原因3の本件担当医師の過失は、いずれもこれを認めることができない。

四 結論

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河本誠之 裁判官 梅津和宏 小林邦夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例